Sさんは第六形態

これはちょっとスゴイ、ちょっとイイナァと思ったことを書いていきます。

シャープ本社物理的消滅。目の付けどころが悪かったのか・・・

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今日は大阪市阿倍野区西田辺周辺を仕事で通ったんですが、御堂筋から南港通りを東に向かいJR阪和線手前の通り両脇に、あの鴻海の出資を受けて再建を目指すシャープの“元”本社があるんですが、

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南港通りを挟んで2棟向かい合って建ってた本社ビルの北側は今まさに解体工事やってって取り壊し中です。南側の元本社ビルも誰も出入りがなくもぬけの殻です。北側の解体が終わると、続けて解体されるのでしょうか。もったいないですね。


シャープと言えば、創業は本当にシャープペンシルから始まった会社なんですね。今のノック式ではなく、創業者の早川 徳次氏が発明した回転で芯が出てくる「早川式繰出鉛筆」というものです。


シャープは「目の付けどころがシャープでしょ」というコピーでテレビCMをしていた時期もありましたが、シャープの作る製品は、けっこう業界の先端を行っていた商品が多かったように記憶します。

 

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出典 gigazine.net/news


左右どちらからでも開く冷蔵庫や今はもう使っている人はあまりいないと思いますが、カセットテープ全盛の時代、ツインカムダブルカセット(カセットテープを同時に2つデッキにセットできる)を最初に世に送りだしたのがシャープです。


シャープが新商品を出してから後で松下電器パナソニック)が同じような物を安く作るので、松下は「マネした電器」とあだ名されてました。


今から35年くらい前にパソコンがマイコンとも呼ばれていた時代。まだOSは「ベーシック」でハードディスクなんかないから、起動するたびに記憶媒体のカセットテープでマイコンにOSを読み込ませてた時代にシャープは独自のクリーン設計を採用して多数の言語やOSを使えるようにしてました。この時にシャープが販売してパソコン、MZ-2000は憧れでした。


ドクターパソコン思い出す。

 

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出典 vidyow.com


ドクターパソコンとは、昔シャープがスポンサーだった「パソコンサンデー」の講師の先生で、特ダネの小倉さんが司会をやってたけど、エラーを頻繁に出してたので「エラーマン」と呼ばれてたように思います。

 

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出典 blogs.yahoo.co.jp/hip_hop_dreams


しかし、いつもこの通りを走ってたらあったシャープ本社が物理的に消滅してしまうのは、なんだか寂しい気持ちになりました。


跡地は家具のニトリになるみたいです。


本社ビルを売却するというのは背水の陣というか断腸の思いでしょうが、物を作って商売する家電メーカーとしては、本社を残して工場を売却するほうが愚の骨頂なんでしょう。工場は海外や地方だから地価が本社より安いというのも理由かも。


本社をなくしたシャープは拠点を堺市の海沿い、南港近辺の太陽電池を生産していた工場敷地内に移転しましたが、けっこう不便そうです。

 

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うちのリビングのテレビも昔はシャープの亀山ブランドAQUOSだったけど、今は韓国メーカーLG製の50インチ4K液晶テレビです。


正直、安かったんでLG買ったけど、リモコンの反応遅いし、起動も遅い。


日本の家電製品はやっぱり優秀なんだと改めて実感してます。

 

シャープの中からの風景 シャープ社員がブログに綴った3年間

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